
- 【日中双语】猫咪不进来(猫、入らない)-3 NJ:Seki菇菇
猫、入らない-3 前半部分为日语朗读 3:30开始为中文 そうしてあるとき、これはかわいい、と思う猫ベッドがあった。本格的に寒くなる前にと早速注文するも、「品切れ」とのこと。また気に入るものをさがし続けるか、それとも、この際気に入らないものでもトトの防寒をいちばんに考えて、柄など気にせず買ってしまうか、しばし悩み、そしてはたと思った。 果たしてトトは、入るのだろうか……。 鍋にも、箱にも、袋にも、布団にも入らない猫が、ラウンドベッドに入ってくれるのか。考えれば考えるほど、そんなことはまったくあり得ないような気がしてきた。とりあえず、セカンドオピニオンと思い、夫にベッドを買おうか買うまいか、相談してみる。するとやはり「トトが果たして入るだろうか……入らないように思う……」という答えが返ってきた。 結局、トトベッドは買っていない。 しかしながら、ペットとともに暮らすじつに多くの人は、日々このような賭けをしながら暮らしているのだなあと、はじめて思い至った。気に入ってもらえるか、もらえないか、わからない。でも、もしかして、すごくいいかもしれない。おもちゃでもなんでも、そのようにして、エイヤと買う。が、見向きもされないなんて、日常茶飯事なんだろう。ひんやりマットも、今やただ意味もなく床に置いてある。いつか気に入るときがくるかもしれないと思うと、捨てられないのである。実際に、去年までまったく見向きもしなかったひんやりマットに、今年はずっと座ったまま、という猫の話も聞いたことがある。 我が家の猫おもちゃのほぼすべてがもらいもので、これも、トトには好き嫌いがある。と、いうか、市販されているおもちゃの大半は、そんなに好きではない。トトが確実に好きなのは、自分の毛を丸めた自分玉や、ペットボトルの蓋、ストローの切れ端なのである。なんていうか、ずいぶん安上がりな猫なんだなあと感心する。いや、出費を抑えてくれていることに、感謝すべきなのかもしれない。
- 【日语朗读】猫、入らない-3 朗读:Seki菇菇
猫、入らない-3 前半部分为日语朗读 3:30开始为中文 そうしてあるとき、これはかわいい、と思う猫ベッドがあった。本格的に寒くなる前にと早速注文するも、「品切れ」とのこと。また気に入るものをさがし続けるか、それとも、この際気に入らないものでもトトの防寒をいちばんに考えて、柄など気にせず買ってしまうか、しばし悩み、そしてはたと思った。 果たしてトトは、入るのだろうか……。 鍋にも、箱にも、袋にも、布団にも入らない猫が、ラウンドベッドに入ってくれるのか。考えれば考えるほど、そんなことはまったくあり得ないような気がしてきた。とりあえず、セカンドオピニオンと思い、夫にベッドを買おうか買うまいか、相談してみる。するとやはり「トトが果たして入るだろうか……入らないように思う……」という答えが返ってきた。 結局、トトベッドは買っていない。 しかしながら、ペットとともに暮らすじつに多くの人は、日々このような賭けをしながら暮らしているのだなあと、はじめて思い至った。気に入ってもらえるか、もらえないか、わからない。でも、もしかして、すごくいいかもしれない。おもちゃでもなんでも、そのようにして、エイヤと買う。が、見向きもされないなんて、日常茶飯事なんだろう。ひんやりマットも、今やただ意味もなく床に置いてある。いつか気に入るときがくるかもしれないと思うと、捨てられないのである。実際に、去年までまったく見向きもしなかったひんやりマットに、今年はずっと座ったまま、という猫の話も聞いたことがある。 我が家の猫おもちゃのほぼすべてがもらいもので、これも、トトには好き嫌いがある。と、いうか、市販されているおもちゃの大半は、そんなに好きではない。トトが確実に好きなのは、自分の毛を丸めた自分玉や、ペットボトルの蓋、ストローの切れ端なのである。なんていうか、ずいぶん安上がりな猫なんだなあと感心する。いや、出費を抑えてくれていることに、感謝すべきなのかもしれない。
- 【日语朗读】猫、入らない-2 朗读:Seki菇菇
猫、入らない-2 一匹でいるときも、布団に入っているということはまずない。かならず布団の上にいるか、あるいは、床の上で寝ている。暑がりなのかと思うほどだ。箱にも入らない。四角いボール紙の、自分の体よりちいさな箱に、猫が無理矢理入っている写真を見たことがある。猫のほうが大きすぎて、箱のかたちが崩れてしまっている。段ボール箱に入っている猫も見たことがある。猫たちは自主的に箱に近づき、箱に入るようである。 贈答用の果物が入っていた箱があったので、これも、トトの通り道に置いてみた。なんにでも興味を示すトトは、箱に近づき、においを嗅ぎ、そして、片脚を入れた。おっ、入る入る入る! このときの私の興奮っぷりはすさまじいものだった。何しろ、なんにも入らない猫が、今、箱に入ろうとしているのである。トトはそろそろともう片脚 を入れ、後ろ脚も入れ、いつものように、前脚を立てる恰好で座った。おーっ座った、なんか知っている図と違うけど、とりあえず箱に座っている、とその感動を写真におさめるため、カメラに手をのばした。けれどカメラを手にするより先に、にゅるーっとトトは箱から出てきて、それきり、もう二度と、二度と自分から箱に入ることはなかったのである。 袋にももちろん、入らない。レジ袋や、デパートの紙袋を置いておくと、近づいて鼻をつっこんでいるが、それは入りたいのではなくて中身を見たいのである。 入らないだけではない。 夏場、よく腹天姿で寝ているので、暑いのだろうと思っていた。猫は暑さに弱いとも聞く。それで、トト用にひんやりマットを買った。座布団のようなもので、いったいどんな仕組みになっているのか、表面がひんやりしている。これをトトのよく寝ている場所に置いてみたのだが、のらない。冷たいことがわからないのだろうと、布団のときと同様に、そっとシートの上にのせてみるも、にゅるーっとどいてしまう。ぜったいにのらない。 入らないばかりか、のりもしないのである。 寒い、暑いをどうにかしようという発想がないのか、それとも、そんなことはどうでもいいのか……。 今年もだんだん寒くなってきた。夏のあいだ、廊下で、台所で、ごはん処で、ベッドの下で、腹天になって背を冷やしていたトトが、ベッドの上でちんまりと丸くなっていることが増えた。いないな、と思ってさがしにいくと、ベッドの上で点のようになっている。夜も、布団には入らないがベッドの上で寝ている。 猫がうちにやってきてから、私は俄然猫に興味を持ち、いろんな人の猫ブログを見るようになった。ブログに登場する猫の多くが、もこもこの、丸かったり四角かったりする猫ベッドに入っている。ああ、こういうものはあたたかくて便利だなと思い、インターネットの猫ショップでさがしてみると、あるある。なんと多くの種類があるの か。アーチ型もあれば、寝袋型もある。そんななかで私は「ラウンドベッド」なるものが気に入った。丸まった猫がぴったりとおさまることのできる、立体座布団のようなベッドである。 このラウンドベッドひとつにしても、外側が籘製だったり内側がボアだったりフリースだったり、はたまた、ヒョウ柄だったり水玉だったりチェック柄だったりと、素材も、柄も、ほんとうにたくさんの種類がある。が、不思議なことに、こんなにも種類がありながら、心惹かれるものは案外少ない。どうしてペット用ベッドの多くが、パステルカラーやメルヘン調だったりするのだろう。これはおしゃれだ、部屋に置きたいと思うようなシンプルな猫ベッドはなかなか見つからない。
- 【日中双语】猫咪不进来(猫、入らない)-1 NJ:Seki菇菇
猫、入らない 前半部分为日语朗读 4:50开始为中文 猫がもし近くにいたら、どうしても見たかった光景がある。 猫鍋である。 土鍋に、猫がまんまると入っている写真を見たときは、衝撃だった。私が見たのは写真集で、猫入りの鍋がいくつも置いてあって、気分が高揚した。「うっわー」と思った。見たい、見たい、ほんものが見たい。この高揚はもしかして、今の言葉で言うところの「萌え」なのかもしれない。 猫知識のまったくなかった私は、どうして猫が土鍋なんかに入るのか謎だった。飼い主が無理に入れているのでもないようである。土鍋を置いておくと自然と入ってしまうようである。そのうち、猫というのは箱や袋といった、体をきゅっとさせる狭苦しい場所が好きなのだと知った。 うちにトトがやってきてしばらくたったとき、あの「見たい」欲望を思い出した。 入ってもらおうではないか。私は土鍋を出して、トトの前に置いた。トトはにおいを嗅ぐが、素通り。えっ。大きさの問題か。ちいさいほうの土鍋も出してみた。これは、近づきもしない。 でも、置いておけばかならずや入るであろうと私は疑わなかった。 ──入らなかった。 残念なことに、トトは土鍋にちっとも入りたがらない猫だったのである。 さらに裏切られたことがある。土鍋同様私がたのしみにしていたことに、「猫が布団に入ってくる」というものがあった。じつに多くの猫が、寒い日、布団に入ってくるというではないか。 ──これもまた、入らなかった。 トトは我が家にやってきた日から、眠るとき、人間のそばにきて寝ていた。頭の上や、足元や、脇の下にはさまれる恰好で。頭の上(枕の上)や足元(布団の上)は布団をかけることがむずかしいが、脇の下は問題ない。寒い日に、私は脇の下で眠るトトにそーっと布団をかけた。するとトト、すぐさま目を覚まし、するりと床に下りて、どこかにいってしまった。 ハハン、これは、布団の快楽を知らないのだなと思った私は、それを知らしめるべく、トトがベッドで寝ているときに何度か布団をかけてやろうとした。が、ことごとく失敗。布団をいやがっているようですらある。冬の、もっとも寒い日になってもトトは布団に入らない。布団の上に寝ている。定位置のひとつである私の脇の下だが、これも、布団がかかっていると近づかない。トトとともに眠りたい私は、けなげにも半身布団をはいで、トトがやってくるのを待つのである。布団がかかっていなければ、トトはちゃんとごろごろいって脇の下に入り、ぴたっと寄り添って眠る。 寒い。でもトトの部分だけあたたかい。でも寒い。でも……。冬のあいだ、私は半身、その寒さに耐えたのである。
- 【日语朗读】猫、受け入れる-2 朗读:Seki菇菇
はじめこそ、薬を飲むときのスポイトを隠していたトトだが、一カ月もたつと、全面的に受け入れるようになった。薬を飲むこと自体、最初から受け入れてはいるのだが、スポイトを隠したり容器を流しに落としたり、ということもしなくなった。 食事の時間になると、台所にいる私の足元にトトはちんまりと座っている。薬の準備をして、トトお薬だよと抱き上げると、だらーんと脱力し、されるがままになっている。赤ちゃんのように抱っこして、薬を飲ませるのだが、トトは毎回じーっと動かず、私を見ている。薬を飲ませ終わっても、ぬいぐるみのようにじーっとしている。 いつまでじーっとしているのだろう? と、あるとき私もそのままじーっとしていたら、一分ほどのちに「はっ、何してたわたし?」と我に返った顔で、床に下りた。 それがあまりにもかわいらしかったので、以後ずっと、薬のあと、じっとしている。トトも毎回じっとしている。 そして毎回「はっ」となる。 考えてみれば、トトはなんでもこのように受け入れるのである。 病院にいくときも、こわくてたまらないのだろうに、キャリーバッグに入れると逃げたりせずに座る。外に出るときちいさな声で鳴くけれど、鳴き続けることなくすぐに静かになる。 病院に着くまで、じーっと伏せの体勢で動かない。まるで存在しないふりをしているか のよう。病院の診察台にのせられても、じっと香箱座りをしている。ちなみにトトはうまく香箱がくめないので、両手はきちんとしまっていないのだが。微動だにしない。 先生が聴診器をあてても、人のいないところを見て「シャー」とちいさく言うだけで、じーっとしている。 先生が「どうしちゃったのこの子は!」と笑い出してしまうほど、じっとしているのである。 そうして診察台にトトをのせたまま、先生と話していると、トトは人に気づかれないように座ったままそっと移動し、診察台のいちばん端っこ、私のわきに置いたキャリーバッグにもっとも近い位置で香箱座りをしているのである。 診察を終えて、帰る。帰り道には餃子屋や焼き鳥屋があって、異なるにおいが漂っているのだが、このにおいの変化で家が近いことがわかるのか、病院からある程度離れると、うずくまっていたトトは急にキャリーバッグのなかで立ち上がる。いきは存在しないふりをしていかたのに、帰りはすっくと立ち上がり、鼻を動かしてにおいを嗅ぎ、移り変わる景色を眺めている。 家に着く。玄関先でキャリーバッグを開けると、トトはにゅるーっと出てきて、文句を言うことも愚痴ることもなく部屋に上がり、数分後には、病院にいったことなど忘れたかのように体をぱかーっと開いて寝ていたりする。 そんなような猫のありように、私は心から驚き、そして感動するのである。もちろん、トトの個性もあるだろうけれど、猫は基本的にやさしい生きものではないかと思うようになった。 犬も鳥もやさしいが、それぞれ、やさしさの種類が違うように思う。猫のやさしさは奥ゆかしい。遠慮がちですらあるように、思う。 夏の夜はトトはベッドの下で、冬の夜はキャットタワーの上部についたもこもこのハンモックで寝ているが、明け方になると、私の隣にやってくる。そうして必ず左脇に入ってきて、のどをごろごろ鳴らしながらふみふみをし、そのまま眠る。が、完全に眠りに落ちると、はっと目を覚ましてまた、床やハンモックといった所定の位置に戻っていく。この明け方数分の行動が何を意味するのか、私には理解できないのだが、もしかして私に気を遣ってくれているのか、と思ったりもする。トトといっしょに眠りたい眠りたいという私の強い願いを知っていて、ほんの数分、ちょっとつきあってくれているのかもしれない。 こんなにやさしくて怒らないトトであるが、ごくごくまれに、怒ることがある。怒るといっても「シャーッ」はやらない。体当たりしてくるのだ。 トトが怒るのは、ごはんが遅いとか、遊んでくれないとか、そういうことが理由ではない。もっとプライドや名誉にかかわるようなことらしい。 たとえば、トトは家のなかのどこでものっていいのだが、流し台だけはだめである。ところが、だめと言われるとトトはのりたくなる。 とくに、こちらがトトにまったくかまっていないとき、わざとのって、チローンとこちらを見たりする。トト、下りて! と注意してもたた下りないとき、私はトトの目の前でぱちんと手を叩く。いわゆる猫だましである。トトはびっくりして急いで下りて、隣の部屋に駆け去っていく。 そのまま台所で作業をはじめると、数分後、なんとトトが廊下を「うにゃーん」とちいさく鳴きながら走ってきて、そのまま私にドロップキックを食らわせるのである。つまり両後ろ脚で床から三角形を描いて跳び、足裏で私の脚を蹴り、そしてまた、だーっと走り去っていくのである。 目の前でぱちんと手を叩かれたことに、トトはとってもむかついたのである。馬鹿にされたような気がしたのであろう。でもその瞬間は怒らない。別部屋にいき、じっくり考え、ウンやっぱりむかつく、と結論を出し、「何ヨ何ヨ ッ」とちいさく叫びながら廊下を突進、蹴り、「フンだーっ」とまた逃げていく。すべて想像だが、そのようにしか思えない。 今のところ、トトの怒りの表現はこれひとつしかない。そしてトトは、私と夫には違う態度で接するのだが、この怒りだけは、同様にぶつけてくる。と、いっても、トトがこの怒りドロップキックをするのも三、四カ月に一度ほど。爪もたてない。なまあたたかい足裏をぶつけてくるだけなのだから、やっぱり猫ってやさしいなあと思う。「猫のような女」って、もし近くに存在したら、私、もうメロメロだと思う。
- 【直播回听】周五讲书人:今天也一直看着你③
- 【日语朗读】猫、受け入れる-1 朗读:Seki菇菇
猫、受け入れる-1 猫にかんして驚いたことは多々あるのだが、猫が寛容であるということにも心底驚いた。 猫は気まぐれで、わがままで、要求が多く、でも人の要求には応えず、つーんとしていると信じていた。 「犬のような女」「猫のような女」という表現が使われるとき、前者は従順(じゅう‐じゅん)で愛情深く、後者はわがままで人をふりまわす、という意味であることが多いように思う。若き日、私は猫の形容を使われたいと心から願う、犬のような人間だった。 そんなふうに、犬猫を飼ったことのない人は、犬と猫を並列させると対極だと思いこんでしまうところがある。犬はいくらでも飼い主を待つが、猫は一秒たりとも待てないだろうと思っていた。 犬はさみしながりで、猫は孤独好きだと思っていた。犬は抱かれても撫でまわされても何をされても許し、猫はさわってほしくないときにさわっただけで怒ると思っていた。 これもまた、私の偏見だったようである。犬と猫を対極に考えるなんて、一昔前の男女観と同じようなことだった。犬のような猫もいれば猫のような犬もいて、きっとウサギのような犬も象のような猫もいるに違いない。 トトは怒らない。じつに静かに家にやってきたことはすでに書いたけれど、それからもずーっと静かだ。大きな声で鳴かないし、シャーッもいわない。爪をたてることもない。 移動時、音がしないので、よくぶつかってしまうことがある。私はけぶつかったのだが、トトにしてみれば蹴られた、という感じだろう。 けれどうんともすんともいわず、にょろーっとその場を離れる。トト、ごめんねごめんね、蹴ってごめんね、と追いかけてあやまっても、もうぶつかったことなど忘れたようにふりむいて「?はて」な顔でこちらを見上げる。 水の入った容器を運んでいるとき、トトが私の脚にまとわりついて、水をトトの背にこぼしてしまったことがある。トトはびくりとしたものの、またしても抗議の声を上げることなく、にょろーっとべつの部屋に向かうだけ。 寝ているトトのおなかや背中から、何か異様な快楽物質が放たれていて、それにつられて私はよく顔を押しつける。ホワーとなる。トトはそのように顔を埋められることがあまり好きではなく、でも、トトなので、そろーっと寝返りを打ったり、寝る位置をずらして、顔から離れる。 けれどときどき、そんなことも面倒になるのか、顔を埋めても動かないときがある。 トトは毎回おきまりのボールをくわえて「遊んで」と言いにくるのだが、こちらに手の離せない用事があり、要求に応えられないときがある。ごめんねトトちゃん、今忙しいんだよと言い、そのまま作業を続けている。トトはそれ以上催促することなく、ボールを足元に置いたままじーっとこちらを見ていて、ふと気がつくとボールだけ置いて、廊下で寝ている。あきらめるのである。 気まぐれでもなくわがままでもなく、要求ばかりすることもなく、つーんとしていない! そればかりか、トトはたいていのことは受け入れ、そして、許す。受け入れて、許す、というのは、猫の特性なのか、それとも個性か。
- 【日语朗读】猫、取材される 朗读:yuki筱寻
这本书联合朗读的另一位主播小姐姐~yuki筱寻 yuki筱寻_yuki筱寻的专辑,声音-喜马拉雅FM (ximalaya.com) 猫、取材される 猫を飼っている編集者氏が、猫の取材をさせてくれないかという。月刊誌のシリーズで、ペットと飼い主の写真と短いインタビューがのるページがあるらしい。どうぞどうぞ、と快諾した。 トトがまだ一歳にもなっていないころだった。編集者とライター氏、高名なカメラマン氏とそのアシスタントさん数人が、我が家にやってきた。トトはうちにきたときから人見知りすることなく、インターホンが鳴れば真っ先に玄関に飛び出ていくような猫だった。このときも、突然あらわれた大勢の人とたくさんの機材に、まったくひるむことなく、近づいてにおいをかぎ、見知らぬ人のズボンで爪を研ごうとする。 トトは抱っこされるのが苦手なので、抱っこ写真が撮れない。カメラマン氏の指示で、キャットタワーに座り、私がその隣に立つことになった。驚いたことに、トトは、ぴーんと前脚をたてまっすぐカメラを見てそのままじーっとしているではないか。今、とても有名なカメラマン氏に撮られているのだということを理解しているかのように。 撮影はすぐに終わり、機材を片付けているあいだにライター氏がインタビューしてくれた。テーブルで向き合って座るそのライター氏の膝に、トトはひょいと飛び乗って丸くなり、これにも私は度肝を抜かれた。私たちの膝の上にだって、そんなふうにはぜったいにのらないのだ。 もしかしてトトは取材好きなのではなかろうか……。 取材後、この編集者氏と食事にいった。いやー、すごいなあトトちゃん、としきりに言う。彼の家の猫はものすごい人見知りで、他人がいると姿を見せないそうだ。彼と奥さんが旅行で留守にするあいだ、彼のきょうだいが猫にごはんをあげにきていたらしいのだけれど、一度も姿を見なかったという。 猫ってそんなに多種多様なのか……。またしても猫歴のない私は驚くのである。そういえば、友人の家にも、出てくる猫と出てこない猫がいたことを思い出す。けれど猫にとくべつな関心がないと、「出てこない猫」は見えないから気にならない。でも、今思うと、その「出てこない猫」はどこかでずっと息を潜めているのだ。知らない人が帰るまで。 カメラの前でばしっとポーズをとり、知らない人の膝にのるトトが猫一般ということではけっしてないと、また学ぶ。 ペットを飼ったことがないと知らないことのなかにペット雑誌、ペット記事の存在がある。もちろん知ってはいるのだ。ただ、さほど興味が持てないだけ。だから、ちらほらと猫取材の依頼がくるようになって驚いた。いろんな雑誌があり、いろんな記事があるのだなあ。猫なら猫しかのっていない雑誌も多々ある。猫の漫画ばかりのっている雑誌もある。そして、件の雑誌を手はじめに、そう多くはないが、そうした雑誌からトトに取材依頼がくるようになった。それらを私はたいてい受ける。トトが取材好きのように見受けられるからだ。 最初のときとまったく同じように、トトは取材陣を玄関まで迎えにいき、廊下を歩く取材陣の脚に体をなすりつけ、カメラの前に陣取る。ひとつだけ一貫してトトがいやがることがある。私に抱っこされるのをいやがるのである。もともと、トトは私にはめったに抱っこをさせない。夫が抱っこすると、じーっとおとなしくしている。抱きかたが下手なんじゃないかと幾度も教わったが、あるとき私は気づいた、トトは夫には抱っこを許すが、私には許さない。抱き方の問題ではなく、関係性の問題である。 でもたいていの取材で、飼い主が飼い猫を抱いてにっこり、という写真を求められる。一度、どうしてもその図が撮りたいと言われて、なんとかがんばったことがある。トトのいやがることは強要したくないので、「たぶん五秒で腕をすり抜けますから、そのあいだに撮ってください」とカメラマンの人にお願いし、ぱっと抱く。それを幾度かくりかえしたのだが、掲載された写真を見たらトトは本当にいやだったらしく、顔がむくれている。「いつもはもっとかわいいのに……」 とその写真を見てつぶやく私はもう完全な飼い主馬鹿である。けれど以後、抱っこ写真なしで、という条件で依頼を受けるようになった。 夫もまた猫の取材を受けることがある。一度、そのときの取材記事を見たら、なんとまあトトは夫に抱っこされてものすごくうるわしい表情をしているではないか。私にはこんな顔をさせるのはまず無理だ。 ある種のカメラマンは、その猫の個性を一瞬でとらえるのと同時に、飼い主その人と、猫の、関係性のありようも一瞬でとらえることができるのだなと私はその写真を見て思った。トトは、どちらかになついてどちらかになつかない、というタイプの猫ではなく、二人におんなじように甘える。しかもトトは気を遣う猫で、夫にべたべた甘えているときに私が部屋に入ると、ぱっと夫の膝をおり、ニュワーンとちいさく鳴きながら私の脚に体をこすりつけたりする。平等にしていますよ、と言わんばかり。けれども、夫には夫の、トトとの関係性があり、私には私の関係性があって、それは異なったかたちのものなんだなあと、写真を見て気づいた。 猫の取材にやってくる人は、ライターさんも編集者さんもカメラマンさんも、たいていペットを飼っているか、飼っていた人だ。みんな猫の扱いがわかっている。トトにおみやげを持ってきてくれる人も多い。鳥の羽根のおもちゃとか、投げるといろんな方向に飛ぶボールとかだ。我が家ではトトにめったにおもちゃを買わないので、うちにあるちゃんとしたおもちゃはすべて、こういったもらいものである。 ちゃんとしていないおもちゃというのは、レジ袋をまるめたものとか、ストローに紐を結びつけたものとかの手作り品である。そして私が毎回驚くのは、写真である。よくぞこんなにかわいく撮るものだと感心する。それが技術だけではないことが、見ていてちゃんとわかる。愛なのだ。ちいさな生きものにたいする愛が、その写真からにじみ出る。取材後、使われなかったショットも含めて、写真を送ってくれるカメラマンさんは多いのだが、見ていてびっくりする。私の知っているトトよりもうつくしいトトがいたり、私と夫しか知らないだろうトトの油断した顔があったり、私も知らない媚態ポーズをとるトトがいたり、するのである。そのトトの姿の向こうに、撮り手の愛する、あるいはかつて愛した、言葉を交わさずともに過ごしたちいさな生きものがちらちらと見え隠れして、眺めているうちに泣けてくることもある。 カメラマンさんに心底驚かれたこともある。トトを追って写真を撮っていたら、トトがトイレにいった。写真を撮っても平気の平左で用を足していたという。「トイレ中の写真を撮らせてくれた猫ははじめてですよ!」としみじみ言われた。「へ、猫って人前でトイレしないんですか」とまたしても私は驚くことになった。 こんなふうに物怖じしないトトだったが、二歳を過ぎたあたりから、なぜかインターホンの音がすると物陰に逃げこむようになった。 そんなこと、一度もなかったのに、ピンポーンと響くやいなや、低い姿勢になっておしりを振り振り、ソファの下やベッドの下に隠れる。 そういえば、ものすごく社交的な赤ちゃんだったのに、自我が芽生えたとたん人見知りになる子っているよなあ、トトもそんな感じなのかなあ、と思っていたのだが、奇妙なことに、トトが隠れているのは二、三分ぷん。すぐにまた、好奇心に負けたかのごとくのろのろと出てきて、お客さんの靴下のにおいを嗅ぎ、ズボンで爪を研ごうとする。 自宅で私が取材を受けるときも、最近ではトトはまず隠れる。このあいだもそうだった。ところが、すぐに出てきて機材のにおいを嗅ぎ、しっぽをぴんとたてて、見知らぬ人たちのあいだを縫って歩いている。アシスタントの青年の腰のあたりに、ぴょんっと飛びついたりもしている。 そしてカメラレンズの向くほう、向くほうへとさりげなく移動していくのである。カメラマンさんがトトではなく、部屋のものを撮っていると、まるで確認するかのごとく私をチラッチラッと見たりする。 そうして私の写真を撮る段になると、またさりげなーく近くにくるのである。テーブルに座っているとテーブルに飛び乗って、横切る。 テーブルの隅にどっかと腰を下ろして、毛繕いをはじめる。撮られる気まんまん、であるように見える。 トトの取材ではなく、でもトトが堂々とカメラ目線で写りこんでいる取材記事は、だから案外多いのである。
- 【日语朗读】猫、手術を受ける-2(啊啊啊!太可爱了这只猫)
猫は、不妊手術や去勢手術を受けると、食欲が増すと聞いたことがある。 今までトトは、ごはんにまったく興味がなく、要求することもなければ、がっついて食べることもなかった。ごはんを用意するとチローッと食べて半分以上残し、また気が向いたときにチローッと食べる。かならず残して完食ということがない。だから、トトは不妊手術後もそんなに変わらないんじゃないのかなあと思っていた。 大間違いであった。ご多分にもれずトトも俄然食いしん坊になった。台所に立つと、ごはんが用意されると思い、「なんとなーく歩いてたら台所にきちゃった」みたいなふりをしてやってきて、私に見える位置に寝転がる。寝転がって両手で頭を抱えるようなかわいいポーズをする。 「トト、ごはんまだだよ」と伝えて、ヒト用ごはんの支度をはじめると、今度は脚に体をなすりつけてくる。ようやくごはんの時間になって、薬を飲ませ、猫用缶詰を開けると、めったに鳴かないトトが私をまっすぐに見上げて「ウニャー」とそれはちいさな声で鳴く。はいはい、ごはんできました、とごはん皿を所定のごはん処に持っていく。トトは首を振りながらついてきて、食べはじめる(トトはうれしいとき、興奮しているとき、なぜかいやいやをするみたいに首を振る)。 トトは好き嫌いがはげしく、食欲倍増の不妊手術後も、気に入らないものはぜったい一口たりとも食べないのだが、お気に入りの缶詰を出すと、一、二分ほどでぺろりとたいらげてしまう。そして空の皿を前に「もうない……」という顔つきで、こちらをちろりと見るのである。もうないって言ったってそれはあなたが今食べたんでしょうよ、と言うと、うにゃーんとちいさく鳴く。 術後の経過をみてもらうため病院にいくと、「あら」と先生。「あらトトちゃん、なんか大きくなったわねえ」。体重を量ると、三キロなかったトトが、四キロを少し超えている。すっかり病院の苦手なトトはまた、だれもいない壁に向かってちいさく「シャー」とやっている。シャー、どころじゃないよ、そんなに太っていたのか。 家に戻り、寝そべっているトトを見ると、たしかに腹まわりがドテーッとしている。テーブルや椅子の縁に顔をもたせかけていると、顔の下にぷるんと輪ができている。トトは顔がちいさいから、顔ばかり見ていると大きくなったようには見えないのである。そういえば、小顔の女子は太ってもなかなか気づかれないんだよな。私も小顔になりたいと幾度思ったことか。そんなことを思いつつ、膨張しているトトを見る。 トトの持病にとって肥満は大敵である。しかも、激しい運動はしてはいけないから、運動で体重をキープするということもむずかしい。よっしゃ。私たちはごはん減量を決意した。今まで食べていた量から三割減らすことにした。猫缶を買うときは、つねにカロリーもチェックするようになった。トトの好きな銘柄はカロリーが低いので助かった。なかには一缶で一二〇キロカロリーなんてものもある。 ごはんの量が少なくなったことに気づいているのか、いないのか、トトは好きなごはんだと前にも増してぺろりとたいらげ、「もうない……」をくり返す。そしてついに、ごはんを食べていないふりまでするようになったのである。私がごはんをあげてから出かけたあと、夫が帰ってくる。するとトトはすっ飛んでいって「うにゃーん」とまとわりつき、誘導するようにごはん処に向かうのである。食べていないと思った夫がごはんをあげると、まるでずーっとおあずけをくらっていたかのようにがっついて食べる。このようなことが幾度か続き、入れ違いの日、私たちは「ごはんはすでにあげたのでだまされないで」「トトはまだごはんを食べていません」等々と伝え合うようになった。 トトも芸達者になったものである。
- 【中文朗读】猫咪去看医生 朗读:yuki筱寻
《南海出版社》 今天也一直在看着你 角田光代 著 贺静 译
- 【日语朗读】猫、病院にいく-3朗读:yuki筱寻
这本书联合朗读的另一位主播小姐姐~yuki筱寻 yuki筱寻_yuki筱寻的专辑,声音-喜马拉雅FM (ximalaya.com) 猫、病院にいく-3 その数カ月後、トトは発情期を迎え、夫と相談した結果、不妊手術をしようと決めた。そうしてふたたび、トトを病院に連れていくことになった。 キャリーバッグに入れて外に出る。トトは鳴かないが、どこにいくのか理解しているのか、病院が近づくとぺったりとキャリーバッグの床にはりついて、気配を消している。だいじょうぶ、だいじょうぶとまたささやきながら歩く。猫に言葉が通じたらいいのになあと真剣に思う。いやがる子どもを病院に連れていく親というのはこんなにつらい気持ちなのか、いや、もっともっとつらいに違いないと、そんなことをはじめて思ったりする。 病院について名を呼ばれ、診察室に入る。診察台にのせると、先生に背を向け、ぴったりとおなかを台にくっつけて微動だにしない。先生がやさしく話しかけながら撫でると、先生にでもなく、私たちにでもなく、壁に向かって、ちいさなちいさな声で「シャー」と言った。 ええっ。これ、今の、トト、怒ったのか。ほかの猫が「シャーッ」と怒るのを見たことはあったけれど、トトの「シャー」を見たことがなかった。トトでも怒るのか。しかしなぜ壁に向かって、そんなちいさな声で! 先生も「なんてちいさいシャーなの!」と、思わず笑い出している。 さてこの日、トトは不妊手術を受け、はじめて病院に一泊することになった。トトがきてまだ一年もたっていないし、トトはめったに鳴かず音をたてることもないのに、トトのいない家は不気味なくらい静かだった。その不気味に静かな家で、私と夫は、うちにきたのがトトでよかった、本当によかった、運動神経が鈍くて心臓が悪くてスポイトを隠したりして、あんなにちいさな声で怒るあの猫で本当によかったと、まったく阿呆のようにくりかえしくりかえし話したのである。
- 【日语朗读】猫、病院にいく-2朗读:yuki筱寻
来啦来啦!这本书联合朗读的另一位主播小姐姐~yuki筱寻 yuki筱寻_yuki筱寻的专辑,声音-喜马拉雅FM (ximalaya.com) さて、処方された薬であるが、三種類ある。ひとつは粉末を水で溶き、スポイトで飲ませるもの。もうひとつも粉末だが、こちらは少量の水で丸め、猫の口にぽんと入れるもの。三つめは錠剤で、砕いてごはんにまぜる。その日から、教わったとおりのやりかたでトトに薬を飲ませることになった。 トトはじつにおとなしい、聞き分けのよい猫で、薬もいやがることなくちゃんと飲んだ。この子はえらい、本当にえらい、ひいき目でな たたくてえらいと夫とともに褒め称えずにはいられなかった。 薬を飲ませるためのスポイトは台所に置いておくのだが、二、三日ですぐなくなる。あれ、どこかに置き忘れたかなと新しいものを出して使う。またなくなる。もしかして、トトがおもちゃと勘違いして遊んでいるのかなと、あたりをさがしてみるが見当たらない。そうしてある日、私は見つけるのである。なくなったスポイトたちを! トトのトイレのうしろには小型のステンレスの物置棚があるのだが、掃除のためにこの物置棚をどかしたところ、なんとスポイトが三つ、きれいに並んでいるではないか。トトがせっせと隠していたのである。ううむ、トトよ。あんなにおとなしく薬を飲んでいたけれど、じつはいやだったのだねえ。 しかし薬よりもかわいそうなのは、トトの大好きな激しい遊びをしてあげられないことである。もう少し年をとればおとなしくなるのだろうけれど、まだ一歳、遊びたいさかりのはず。しかも、運動神経が鈍いながら、跳んだり、走ったりするのが大好きなのだ。ボールをくわえて持ってきてぽとりと落とし、ニャオワーン、と鳴かれると、胸がふさがる思いだった。猫無知の私はひたすら途方に暮れて、がまんしようねと言って聞かせるだけ。するとやはりトトを不憫に思った夫が、さまざまなおもちゃを独自に作りはじめた。さすがに猫歴が長いだけあって、動きまわらずとも猫が夢中になる遊びを知り尽くしているのである。切ったストローを糸で結んだもの。ギターのピックの中央に穴を開け糸を通したもの。ボール紙を丸めて懐中電灯に巻きつけたもの(部屋を暗くし、細い先端から出る光を壁にあてる)。 そのへんにあるものでじつに多様なおもちゃを作りちいさなスペースで遊んでいる。にゃるほど、走らなくとも、跳ばなくとも、いかようにも遊べるわけか。数週間すると、トトはスポイトを隠すこともしなくなった。薬もいやがらずおとなしく飲んでいる。何かのきっかけでトトが猛然と走り出したときは、部屋のドアを閉めて走る距離を短くし、ほかの興味を引くような遊びをする。 私たちもトトも慣れた。
- 【日语朗读】猫、病院にいく-1朗读:yuki筱寻
来啦来啦!这本书联合朗读的另一位主播小姐姐~yuki筱寻 yuki筱寻_yuki筱寻的专辑,声音-喜马拉雅FM (ximalaya.com) 猫、病院にいく-1 しかし、猫がこんなにも遊び好きな生きものだとは思わなかった。猫無知の私のイメージでは、つーんとすまして座っているか、寝ているか、それが猫の常態だった。しかしトトは遊ぶ遊ぶ。しかも、激しく遊びたくて仕方がないらしい。跳んだり、走ったり、ということが、したくてしたくてたまらなそうなのである。ボールを投げるとくわえて持ってきて、もっとやってとせがむ。投ひもげてやるとまた持ってくる。終わりがない。紐状のもので遊ぶと、ぽーんとジャンプする。驚くほど高く跳ぶ。 そのくせ、運動神経が鈍いものだから、壁に顔から突っ込んだり、高いところから落ちたりしている。危なっかしくて仕方ないが、猫自身は打っても落ちてもぶつかっても、照れることもなく恥じることもなく、何ごともなかったかのように「遊んで」をくりかえしている。タフだなあ。 ところがトトが我が家にやってきて、半年ほどたったある日。要求されるままさんざん遊んでいると、トトは口を開けてはーはーと息をしている。へえー、犬だけじゃないんだ、猫もこんなふうにするんだなあと、猫無知の私は軽く考えていた。猫歴の長い夫も、「めずらしいけど、トトはそもそもいろんなことがほかの猫と違うしなあ……」とトトのその奇妙な呼吸法をどう考えていいのか、わかりかねている様子だった。 トトのおにいちゃん、元ごーちゃんの飼い主である編集者氏に、元きごーちゃんもそんなふうに呼吸する? と訊いてみると、しない、とのこと。加えて、念のためお医者さんに連れていったほうがいいとアドバイスをもらった。 そんなわけで、はじめてトトを動物病院に連れていくことになったのである。病院は、いろいろ考えた末、もっとも近くにある動物病院に決めた。トトの外出は、うちにやってきたときに次いで二度目。 キャリーバッグに入れて、おそるおそる外に出る。駅前を通り過ぎる。うちにきたときはまったく鳴かなかったのにトトはニャアニャアと鳴いている。だいじょうぶ、だいじょうぶと言って聞かせながらそろそろ歩く。 無事たどり着き、検査を受けることになった。血液検査のための注射をするとき、女性の院長先生が「ときどきびっくりしてすごく大きな声を出す猫ちゃんがいるんです。この子が叫んでも驚かないでくださいね」と前置きして、注射を打った。なんと先生の言葉どおりトトは聞いたこともない大声で「ンニャーッ」と鳴いた。検査の結果、トトはふつうの猫よりも心臓が大きいことがわかった。トトはアメリカン・ショートヘアという猫種だが、この種には多いらしい。血液がどろどろになりやすく、最悪の場合は血栓ができ、発作を起こす。 心臓がちいさくなることはないけれど、激しい遊びはさせない、太らせないようにすることで、発作は防ぐことができる。 毎日飲ませる薬を処方してもらい、はじめてそこが東洋医学の病院だと知った。薬は漢方薬である。 じつは私は、トトを病院に連れていくまで、ペットがいつか確実にいなくなると、ちゃんと考えたことがなかった。もちろん頭ではわかっている。動物の寿命は人間よりうんと短い。でも、実感がなかった。理解していなかった。 心臓のことについて説明を受けたとき、不覚にも私はその場で泣いた。泣くつもりはまったくなく、いい年をしてみっともないとわかっているのに、勝手に水滴が目から落ちてくるのである。先生はさぞやぎょっとしただろうに、心臓が悪くても長生きする猫はたくさんいますよ、と言ってくれた。病気も、おうちも、飼い猫は自分で選んで生まれてくるんだと私は思いますよ、とも。 説明を受けて病院から帰る道々、幾人もの友人の顔が思い浮かんだ。犬や猫を飼った経験があり、今も飼っている人たちである。あの人も、あの人も、あの人もだいじな生きもののいのちを見送ってきたのだと、はじめて気づいたのである。ともに暮らしてきたちいさな生きものが病気になって、でも会社や学校にいって、それでお別れがあって、きっと泣いて泣いて泣いて、でもやっぱり学校や会社があって、休めなくて、友だちとがんばって笑って話して、帰ってきっとまた泣いて泣いて泣いたんだろう。 そうしてみんな大人になって、また、あらたに生きものを迎え入れてともに暮らしているんだろう。すごいな。いや、ほんと、すごいなあ。私は心から思った。
- 【日语朗读】猫、手術を受ける-1 朗读:Seki菇菇
猫、手術を受ける 不妊手術を受けたトトは、エリザベスカラーをつけてうちに帰ってきた。 エリザベスカラー! ペットを飼ったことのない私でも知っている、顔をぐるりととりまく丸いもの! トトのつけてもらったカラーは、透明な地にピンクで絵が描いてあるかわいらしいものである。 トト、お帰りお帰り、と家に連れて帰る。トトは病院に一泊させられたことにも、エリザベスカラーをつけられたことにも、まったく怒る様子がない。ただ受け入れて、静かにしている。トトは本当になんでも受け入れて、許す。もしかしてこの「受け入れる」というのはトトだけではなくて、猫の特性なのだろうか。 この日、がんばったトトに夫が刺身を買ってきた。トトにははじめての刺身である。どれだけ感激するだろうかと食べる様子を見守ったが、慌てず騒がず淡々と、ほかのごはんとおんなじように食べてはいる。でも真っ先に刺身だけ食べたところを見るとおいしかったのだろう。 トトの運動神経が鈍いことは以前も書いた。エリザベスカラーをつけて二日目も、三日目になっても、トトはカラーに慣れない。カラーの縁をどこかにぶつけたり、まっすぐ歩けなかったりする。夜、うつらうつらしていると、遠くから、カコーン、カコーン、という音がだんだん近づいてくる。最初はなんだろうと不気味に思ったが、それはトトがカラーをあちこちにぶつけながら、のっそりのっそりと、こちらにやってくる音なのだった。 術後の経過をみてもらうため、また病院にいく。この日にカラーはとれるはずだった。けれどトトは手術あとをなめてしまったらしく、うおなかがちょっと膿んでいる。カラーが短かったのね、と先生は、トトのカラーの外側に透明のガムテープをはりつけ、ひとまわり大きくした。カラーはとれなかったのである。術後のくすりと、膿んだおなかのためのレメディを先生は処方してくれた。ふひとまわり大きくなったカラーをつけて、トト帰宅。またしても不憫で、お刺身を数切れあげた。トトは大きくなったカラーも受け入れ、静かにお刺身をまずたいらげ、それからいつものごはんを食べている。カコーン、カコーンも継続。 ひとまわり大きくなったカラーで、こんどはおなかをなめることはできまいと思ったのだが、トトは幾度もなめようとして、そのたび、カラーの縁がおなかにあたる。膿んだおなかがなかなかなおらない。なおらないどころか、もっとひどくなっているようにすら見える。 私と夫は悩んだ末、トトのおなかを保護する猫服を作ることにした。ああでもない、こうでもないと試行錯誤の上、細かい作業の得意な夫が型紙を作る。古いハンカチを型紙に合わせて切り、あちこち縫いつなぐ。金太郎の腹掛けのようなものができあがった。 これをトトのおなかを隠すように着せてみるのだが、結ぶようにした肩の部分が、するりと外れてしまう。猫ってなで肩だもんなあと妙に感心するが、感心している場合ではない。幾度かかたちを変えて作ってみた。が、どれもだめ。一、二歳児が着るできそこないのタンクトップもどきが幾枚もできたが、どれも使いものにならず。 私はもう気が気ではなく、翌日ペットショップにいき、小型犬の服を物色した。しかしトトが着てくれそうなものはない。ネットでさがすと、なんと「術後服」というものが売られているではないか。なんだ、早くさがすべきだった。ネットってすごい。私は早速それを注文した。 その術後服が届くより前に、動物病院の診察があった。あいかわらず黄色くただれているトトのおなかを見て、どうしてもどうしてもなめようとしてしまうのね、と先生は言い、ぜったいになめることができないよう、おなかにガーゼをあて、白いあみあみのネットを、四本かつこうの脚を出す恰好ですっぽりとトトに着せた。カラーがようやくとれたのである。 カラー同様、このあみあみネットもトトはいやがることなく、着せられるままになっていた。カラーよりはこちらのほうがまだ楽にも見える。そしてトトには悪いが、あみあみネットを着ている姿は、お中元やお歳暮でもらうハムみたいで、ちょっとかわいい。 その少しあとに術後服は届いた。小花柄のかわいいものだったけれど、あみあみネットがあるから出番がなくなってしまった。ネットのおかげでトトのおなかは急激によくなり、数日後にはネットもとれた。最初は赤く、そのうち黄色く膿んでしまったおなかも、きれいなピンク色に戻った。そのきれいなピンクも、やがてふさふさの毛が隠していって、私たちは心から安堵したのである。
- 【直播回听】今日も一日君を見てた② 主持:Seki菇菇