ばさばさっと音がして、本が2冊床に落ちた。いつもココアさんが座る席でタブレットを開いていたお客さんだ。がっかりしたように大きなため息をつき、彼女は本を拾った。なんだか今日、この店に来る女の人はみんな困った顔をしている。
「やだ、もうこんな時間」
お客さんは腕時計を見ると高級そうな黒いバッグに本をつっこみ、急ぎ足でレジに向かった。
そのお客さんには申し訳ないけど、僕は「しめた!」と思った。手早く会計をすませ、トレイを持ってあのテーブル席に走る。アイスコーヒーの入っていたグラス、半分減っている水のコップ、おしぼり、ストローの袋。「片づけ選手権」があったら優勝できるんじゃないかというくらいのハイスピードでそれらをトレイに載せ、テーブルを拭いた。
「空きました」
うわずった声でココアさんに言うと、彼女はきょとんと顔を上げた。よけいなことしたかなと一瞬ひるんだけど、なんとか気持ちを伝えたくて、僕は勇気を振り絞る。
「いつもの場所です。好きなところにいるだけで、元気になることもあると思います」
ココアさんは大きな目をさらに大きく見開き、空いたばかりの席をびっくりした表情で振り返った。
そして次の瞬間、ふわあっと雪が溶けるみたいに笑った。
「ありがとう。そうかもしれませんね」
ココアさんはいつもの席に移り、少しの間、窓の外を眺めていた。そしてココアを一杯飲み終えたあと、珍しくお代わりをしてくれた。


